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グローバル化社会、聴覚障がい児の英語教育はどうなるのか?

<英語への注目が日々高まっている>
近年のグローバル化に伴って、楽天やユニクロが社内公用語に英語を起用したり、小学校での英語学習が必修化されたり、大学入試センター試験でリスニングが導入されたりと英語の重要性が高まっています。英会話教室が主要駅だけでなく中規模・小規模な駅前にも当然のように設立され、電車では英会話教室の車内広告が目立ちます。アプリや携帯ゲーム機でも英語学習ツールがたくさんリリースされています。
この流れは日本国内にとどまらず、アジアを中心に世界的な流れとなっており、中国や韓国からは毎年たくさんの学生が英語圏に留学しています。

<なぜ、英語を学ぶのか?>
人々はなぜ英語を学ぶのでしょうか?
もちろん、純粋に英語が好きな方や洋画を字幕なしで見たいといった気持ちもあるでしょう。しかし、多くの場合はキャリアアップや就職に英語が直結するからだと思います。
この影響は、以前にも増して顕著になってきているでしょう。英語が出来る事で、国内での職の選択が広がるばかりか、外資系企業への就職、海外への転勤や出張などでも活躍できます。インターネットの普及によってグローバルビジネスも増えてきました。このような流れの中で、社内公用語を英語にする企業が増えているのでしょう。

 
 
グローバル化社会の中で聴覚障がい児の英語教育は…?
 

英語が社会進出において大変重要な要素となる中で、聴覚障がい者・聴覚障がい児を取り巻く環境はどうでしょうか?

<言語習得の壁>
まず、考えられる事に言語習得の壁があります。手話を母語とするろう者にとっては、日本語は第二言語となります。最近は若者を中心に日本語を母語とする聴覚障がい者も増えていますが、やはり手話を身に付ける聴覚障がい者が大半でしょう(軽度の方はそこまでではないと思いますが。)。昔のろう学校では日本語学習に相当数の授業時間を割いたそうですし、手話と日本語の二つの言語を身に付けるだけでも大変です。そこに持ってきて、さらに英語を学習するわけですから聴者よりも大変な事は言うまでもありません。
さらに、英語を手話で教えてくれる場所は多くありません。そうなると、(生活言語だとしても)第二言語である日本語で、第三言語の英語を学ぶという事になります。私もアメリカ留学中に第二言語の英語で、第三言語のスペイン語を学びましたが苦労しました。

<通訳の壁>
英語と日本手話間の通訳が出来る人は、ごくわずかしかいません。手話通訳者もそこまで多くないですし、その中で英語がビジネスレベル・学術レベルで出来る方を探すのは至難の業です。更に、同時通訳には言語能力とは別に通訳スキルも求められますから、神業の領域になります。
出来る人が少ないとなれば、スケジュールの確保から費用までろう者の負担は膨らむ一方です。英語⇔日本手話通訳の不足は、ろう者の国際社会進出では課題の一つとなるでしょう。

<リスニング>
TOEICや英検などの試験において、聴覚障がい者はリスニングで不利、あるいは受験自体が不可能になります。実際に英語検定に関しては、過去に大きな運動に発展したため、現在ではテロップや強音による特別措置があります(2012年障がい者に関する特別措置要項・PDF)。しかし、依然として障害者雇用枠にも関わらず、TOEIC700点以上を求める企業が多くあります(TOEICの性質上、リスニング抜きでは495点以上は不可能)。ろうの友人が外資系企業約10社に障害者枠でエントリーしたそうですが、TOEICの点数が低い事を理由に1社も面接に進めなかったそうです。始めから聴覚障がい者は足切りされているというのが現状です。ライティングは十分にできるというろう者もいます。しかし、彼らには働くチャンスすら与えられていないわけです。
 
 
グローバル化そのものに反対しているわけではありません。英語が広がる事で便利になる面もたくさんあると思います。ただ、聴覚障がい児・聴覚障がい者が置き去りにされるような社会には絶対にしたくないと思っています。

ここまで色々と述べてきましたが、私自身まだまだ答えが見出せているわけでも、何かプロジェクトを始められたわけでもありません。ただ、この問題はシュアールとしても重要な課題であり、取り組んでいくべき問題だと思っています。実際に、聴覚障害英語教育研究会という組織があり、聴覚障がい児・聴覚障がい者に対する英語教育に関する問題が議論されています。私も2010年7月よりメーリングリストに登録しています。
 
 
ひとまず何かできる事をと思い、小学校英語指導者を取得しました。まだまだ専門分野ではないので、すぐに何が出来るわけでもありません。しかし、いつか英語教育の分野でもソリューションが提供できるように今から少しずつ頑張っていきます!.

本庄早稲田の杜クロスカントリー&ハーフマラソン大会!目標タイム達成!!

4月8日、第16回本庄早稲田の杜クロスカントリー&ハーフマラソン大会に参加しました。東京マラソン以来の久しぶりの大会でした。今回は、本大会で初めてだというハーフマラソンの部に出場しました。
JustGivingのチャレンジも順調に進んでいます!

桜が見どころの大会という事ですが、例年よりも桜の開花が遅れたのであまり桜は見られませんでした…。しかし、川沿いを走るコースは気持ちが良かったです。途中で花見をしに来たお客さんから声援を頂きました。感謝です。タイムは1:44:24(グロス)で目標であった1時間45分を切ることが出来ました!半年前に走り始めた時に2kmも走れなかった事を思うとだいぶタイムが伸びてきたと思います。ちなみに、写真はゴール直前のラストスパート!かなり険しい表情になっています。足も上がっていないし…汗。
今回のウェアですが、私が起業を決意したVIAのALCプログラムでお世話になり、先月にもアドバイザーとしてESIプログラムに参加したスタンフォード大学のウェアを選びました。私にとってはとても大きな意味合いを持つ大学です。このシャツを買ったのは半年前のTofu Projectの時ですが、汗。また、本庄は早稲田大学の御膝元という事で、慶應のキャップでさりげない対抗をしています。笑

そして、会場にて私が大学一年生の時に参加したOxford大学のサマースクールの先輩、ヨッシブさんにお会いしました!3年ほど前から走り始めたとの事。知り合いの方と一緒にマラソン大会に出る事はこれまでなかったので、とても嬉しかったです!終わった後、私の地元:高崎までお越し頂き観光しました。充実した休日で良い気分転換になりました!

明日は、第13回前橋シティマラソンに参加します。今回もハーフマラソンですが、本庄で1時間45分の目標タイムを達成できたので今回はタイムを気にせず走りを楽しみたいと思います!.

シュアール卒業生、お疲れ様会!

本日は、今年の3月31日でシュアールを退社し新たなステージへと旅立っていたシュアールOBGのメンバーと一緒にお疲れ会を行いました!シュアールの立ち上げ時からメンバーとして深く関わり、2010年4月から2012年3月まで特定非営利活動法人シュアールの理事を務め、学生団体リンクサインの代表・副代表も兼任してくれた鈴木理歩と早川理絵、株式会社シュアール新規事業部にて停滞していたSLinto事業を約1年3ヶ月の間、引っ張ってくれた白鳥佑樹の三名の頑張りはシュアールにとって、かけがえのないものでした。今まで本当にありがとう!!

今日は、SFCの先輩で社会起業塾の先輩でもある宮治勇輔さんが行っている六本木農園にて行いました。こだわり抜いた新鮮な食材を使っていて、良心的な値段でとても美味しく頂けました。4人でとても幸せな気持ちになりました。東京タワーも見える掘りゴタツの外の席で気持ちが良かったです。接客も料理の説明など丁寧で素晴らしいと思いました。

彼らシュアール卒業生も新たなステージで大いに活躍してくれると思います!心から応援しています!これからのシュアールも負けないように頑張ります!お互いに頑張っていこう!!

今までありがとう。これからもよろしくね!!.

東アジア初のアショカフェローに選出!

本日アショカ・ジャパンから発表がありましたが、東アジア初のアショカ・フェローに選出されました(シュアール:プレスリリース、Ashoka:紹介ページ)!

Ashokaとは1980年にBill Drayton(ビル・ドレイトン)氏によって設立された世界的社会起業家ネットワークです。これまでに、ノーベル平和賞を受賞したグラミン銀行のMuhammad Yunus(ムハンマド・ユヌス)氏やNPOにしてアメリカの就職率ランキング1位に輝いたTeach for AmericaのWendy kopp(ウェンディ・コップ)氏、日本でも大きく取り上げられているKivaのMatt Flannery(マット・フラネリー)氏、誰もが良く知っているWikipediaの創業者Jimmy Wales(ジミー・ウェールズ)氏など多くのソーシャル・アントレプレナーがAshoka Fellowとなり素晴らしいソーシャル・インパクトを生み出しています。
アショカフェローは賞ではありません。私がこれまでやってきた事が評価されたというよりも、私がこれから生み出すであろう価値に期待を頂き、アショカの世界的ネットワークでの支援が決まったのです。なので、アショカフェローになる事はゴールでは絶対にありえない事です。これから今まで以上に大きな成果を出していかなければなりません。まさに、次のフェーズのスタートラインに立ったのです。

しかし賞ではないと言っても、今までの実績がなければアショカフェローに選出される事は不可能でした。
一緒に手話を始めてくれた慶應義塾大学SFC手話サークルI’m 手話のみんな、みんながいなかったら手話を始めていなかったです。ありがとう。特に初代副代表としてサークルの立ち上げから支えてくれた中村美穂氏には感謝をしてもしきれません。
大学の授業で私に手話で事業を起こすきっかけを与えてくれた松倉秀実弁理士(慶應義塾大学大学院政策メディア研究科特任教授)と世良信一郎氏。想いしかなかった私に、行動に移す方法を教えてくれました。そして、現在も弊社顧問とSFC-IVチーフIMとしてお世話になっています。シュアールが始まる前から今に至るまで本当にお世話になっています。
ビジネスの可能性と楽しさを教えて頂いたのは國領二郎学部長です。ビジネスの基礎が全く出来ていなかった私を大学2年から3年春学期まで研究室に招き入れて頂き、経営の土台を教えて頂きました。そして、シュアールを始めようとしていた私に「本気でやり続けられるのか?」と最初に問うてくれたのも國領先生でした。先生のおかげで固い決心を持って始める事が出来ました。
授業内にて、シュアールの基幹事業の創発に力を貸して頂き、その後は指導教官として卒業までお世話になった飯盛義徳准教授。まだ実績がない頃から色々と推薦をして頂くなど助力を頂きました。現在も、大学との共同研究に御協力頂くなど大変お世話になっています。
KIEPの皆様には、オフィスを持つほど企業体力がなかった頃にオフィスの無償提供をして頂き、現在も企業経験のない私の本当に基礎的な疑問にまで付き合って頂き、とても感謝しております。
KBC実行委員会には事業プランのブラッシュアップのチャンスを頂きました。株式会社ホープスの野村るり子社長には、KBCでメンターをして頂き、その後も素晴らしい実績作りに御協力頂きました。
KBCで高く評価して頂き、台湾で行われた国際ビジネスコンテストGlobalTiC Talentrepreneur Awardへの(文字通りの)チケットを提供して頂いたメンター三田会の皆様。英語によるプレゼンの指導もして頂いたおかげで、大会史上初の二冠を獲得できました。
起業家支援財団には、学生起業塾奨学生として2年間に渡り無償の研修と活動費を支給して頂きました。楠田育英会財団法人三菱UFJ信託奨学財団、津田記念育英会には、大学3年間の奨学金を頂きました。おかげでアルバイトなどに時間を取られる事なく活動に集中できました。
ETIC.の皆様には、社会起業塾イニシアティブを通して事業の拡大と安定化に多大なるご協力を頂きました。そして、シュアールの担当コーディネーターとして見捨てずにサポートをし続けてくれた三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社の水谷衣里氏。社会経験の乏しさから本当に基礎から実務に付き合って頂きました。
シュアールの知名度向上にご尽力頂いたのはブロガーのイケダハヤト氏。オンライン、オフライン問わず、幾度となくシュアールの御紹介をして頂きました。
藤沢市産業振興財団米国大使館 東京アメリカンセンターThe Tofu Projectには、海外研修など様々なビジネスチャンスを頂いています。
各聴覚障害者団体の皆様、手話通訳者の皆様、ろう者の方々には、シュアールの活動に賛同を頂き、御協力を頂いております。また、各スポンサー企業と各提携企業の皆様には日常業務で本当にお世話になっております。
そして、激動の日々を一緒に駆け抜けてくれているシュアールグループのメンバー。私一人では何もできなかったです。みんな一人一人と一緒に活動が出来て本当に嬉しかったです。
いつも体を気遣ってくれる祖母、叔母、伯母、従姉妹達、充実した留学生活を送らせてくれたアメリカのホストファミリー、生意気な後輩でも面倒を見続けてくれた先輩達、突拍子もない事ばかりしてきたのに今でも仲良くしてくれている友人達に感謝しています。
最後になりましたが、何をしているのか全く分からなく滅多に実家に帰る事もない親不孝な息子をずっと応援し続けてくれている両親に最大の感謝しています。
本当に多くの人に支えられてここまで来ました。あまりにも多くの方に応援をして頂いているので、まだまだ書ききれませんが、シュアールの関わってくれたすべての皆様、本当に今までありがとうございました。そして、これからも宜しくお願いします。.

311東日本大震災から1年目を振り返って

一年前の今日、日本を大きく変える出来事が起きました。1年前の日本と今の日本は確実に違う物になったと思います。大小は様々だと思いますが、多くの人の価値観に影響を与え、企業や個人の行動も変わってきたと思います。実際に、自分の進む道を変えたという人も多くいると思います。

私もその一人です。震災当日に会社で打ち合わせをしていた私は、揺れで会社の本棚やパソコンが崩れ落ち、オフィスが使い物にならなくなったので自宅に戻り、メンバーと家族の無事を確認後、当日の23時に被災地に向けた遠隔手話通訳の支援を始めました。その後、4月に被災地入りをしました。そこで何もできなかった自分が本当に悔しくて、決まっていた大学院進学を辞退し、既存事業と被災地支援に活動を絞りました。さらに体力を付けるために運動も始めました。

この一年を振り返って満足のいく活動が出来たかと聞かれたら、残念ながら十分だったとは言えません。こうしていれば良かったと思う事はたくさんあります。ただ、その未熟さを認めながらも、今後もっともっと成長して、少しでも役に立てるように頑張っていきたいと思います。諸先輩方のように成し遂げた事はまだありませんが、前進し続けていく事を一年目の今日、改めて心に誓いました。

最後に、亡くなられた全ての方のご冥福をお祈りすると共に、被災された方の一日でも早い復興をお祈り致します。.