日別アーカイブ: 2012/07/20

Imagine Cup優勝の手話通訳手袋(EnableTalk)が残念な3つの理由

先日、マイクロソフトが全世界の学生向けに展開するテクノロジーコンペティション「Imagine Cup」にて、ウクライナチームが手話をテーマとした技術で優勝したTechCrunchJapan内記事。この大会は、今年で10回目を数える歴史のある、大きな大会である。このような大舞台で手話が注目を集める事に関しては嬉しく思うが、内容に関しては、残念ながら遺憾であると言わざるを得ない状況である。
*最初に本記事はウクライナチームやマイクロソフトを批判する事を目的としたものではない事を述べておきます。彼らは手話の分野に関して無知だったために、間違った方向に向かってしまっただけだというのが私の個人的な考えです。但し、このような間違った情報が広がる前に、少しでも正しい理解を広めたいという想いで本記事を書いています。

EnableTalkについて


彼らが開発した「EnableTalk」を簡単に説明すると、センサーを付けた手袋(データ・グローブ)を付ける事で手話を識別し、音声に自動翻訳して伝えるというものである。
手袋に張り巡らされたセンサーが関節の曲がり具合などを感知し、手袋の中に搭載したコントローラーで手型を分析し、音声言語に翻訳する。そうする事で、ろう者(耳の聞こえない手話母語者)が使う手話を聴者(耳の聞こえる人)が手話通訳者を介さずに理解できるようになり、意思疎通が図れるというものである。更に、学習機能もついており、端末が手話を記録する事で方言にも徐々に対応できるそうだ。

マイクロソフトのお墨付きを得たわけだから、とても高い技術力があったのであろう。しかし、このままでは本技術が実用される事はあり得ない。

本技術が残念な3つの理由

・手以外を使用する手話文法をセンサー出来ない

意外に思う人もいるかもしれないが、手話は「手」だけを使っている言語ではない。非手指動作(NMSやNMMと呼ばれる手や指を使わない動作)、口型(口パクをした際の口の形)、CL(Classifier)といった様々な文法的要素が揃って初めて意味を成す。

非手指動作に関しては、私が先日の日本手話学会に関するブログ記事でも書いたが、
1.大学に合格したら、勉強に励む。
2.大学に合格したから、勉強に励む。
3.大学に合格するために、勉強に励む。
4.大学に合格しても(なお)、勉強に励む。
上記の4つの文章は、表出される手話語彙(手型、動き、位置などの音韻要素)とその語順はすべて同じである。違いは頷きの角度や位置で表現する。今回の手話通訳手袋では「頷き」は検知出来ないので、ランダムに翻訳するしかない。
他にも眉毛や目の動き・角度、肩の上げ下げによっても意味が大きく変わってくる。

「兵庫」と「相模原」の手話は同じで口型により違いを表現する。今回の手話通訳手袋では「出身は兵庫です」と「出身は(神奈川県の)相模原です」ほどの違いが出てしまうわけである。
また、過去形に関しても口型は重要である。「行った」という手話は『「行く」+「完了形」』と表す方法と『「行く」+「アの口型(手話界では「パ」と一般的に言う。)」』で表す方法の2種類がある。前者の場合は手型だけでも判別できるかもしれないが、後者の場合は手型だけでは現在形の「行く」と区別がつかない。

上記はあくまで一例。このように手袋(手型)のみでは、動きや位置の認識が出来ない上に非手指動作や口型なども認識出来ないため、判別できない手話文がは多く存在している。
私がTEDxTokyoのスピーチ(English日本語吹替)で話したように手話は世界共通ではなく、手話文法も各国で違う。さすがに他国の手話では具体例を挙げられなかったので日本の手話で具体例を挙げた。しかし、手話文法の用法や意味は違えど、世界中の手話で表情や頷きが手話文法として機能する事は共通しているため、他国の手話でも同じ事が言えるだろう。

つまり技術上は可能であっても、手話の言語的特性上、手袋のみで手話を音声言語に変える事は不可能である。可能な範囲は、訳が決まり切った挨拶や慣用句などの一部の言い方のみであろう。

・一方向に情報を発信出来ても対話をする事が出来ない

手話の動作をするだけで手話を音声言語に通訳する事が出来たとしても、聴者が話している音声言語を手話に変える事が出来なければ、会話として成立しない。言語の異なる人同士の会話は、双方向の通訳があってこそ、成り立つものである。英語が全く分からない日本人と、日本語が全く分からないアメリカ人が会話をしたとして、英語から日本語にだけ翻訳されても日本人の言う日本語は相手には伝わらない。確かに何もない状況よりは良くなるのかもしれないが、「快適なコミュニケーションが可能」というには程遠い。
手話を翻訳する手袋を付けただけでは、ろう者が聴者の言っている事を理解できるようになるわけではない。手話を音声言語に変える事と、音声言語を聴覚障がい者に伝える事は、全く違う次元の話である。しかし、今回の紹介ビデオ内では、手袋を付ける前は聴者の言っている事が理解できなかったのに、手袋を付けた途端に聴者の言っている事が”なぜか”理解できるようになっているのである。

・既出の技術であり、新規性がない

最後はEnableTalkそのものに関してではなく、手話通訳手袋の技術そのものと今回の受賞に至る経緯についてである。TechCrunchJapanの記事を見る限り、このような技術は他に少ないとされているが、実は似たようなプロジェクトは世界中で見られている。日本では2001年に特許が出願されており、今年の1月にはAndroid向けの手話通訳手袋が発表されているMake:Japan内記事。つまり、技術としてもアイディアとしても全く新規性はない。
確かにサイトを読む限り、低価格化、高速化など一定の技術進歩はあったようだ。ただ、上記の手話の言語的制約を超える技術革新ではない以上、今回の企画を技術革新・イノベーションと呼ぶに値するものだとは思えない。

止まらない、ユーザー無き技術革新


ここで、疑問が湧くのは本プロジェクトにどれだけの聴覚障がい者が実際に関わっていたのかという事である。手話がわかる人間が関わっていたら、このような事態は未然に防げたのではないかと思われる。この事に関して、アジア経済研究所の森壮也主任研究員に確認したところ「この技術は世界中で開発されているが、指文字などを認識しただけで手話翻訳が出来たと言っているだけ。実用レベルではない。ウクライナ国内の手話学が遅れているため、簡単な手話が音声に変わっただけでも現地のろう者にとっては十分な驚き。昔の日本でも同じような認識だった時期もある。」とのコメントを頂けた。ウクライナにいるろう者自身の手話に関する理解不足にも一因がありそうだ。
ただ、指文字や単語を認識するレベルであれば、実用出来る可能性がある。もしかしたら、ろう者と開発チームの間でゴール設定がそもそも違った可能性があるのかもしれない。
既に日本の記事でも本技術を称賛する記事を見かけている。ただ、ろう者や手話界では全く話題になっていない事を気にして頂きたい。本技術が使えない事をユーザーが一番わかっているのである。

最後に余談だが、本大会で日本チームは過去最高順位の2位になったそうだ。もし、審査員の中に手話に関する知識が少しでもある人がいたら、日本が優勝していた可能性は高かったのではないだろうか。.